採用の自由と労働者のプライバシー

2019年12月01日

 今年9月、HIV感染を申告していなかったことを理由に内定を不当に取り消されたとして、内定者が内定先の病院を訴えた裁判で、内定者側が勝訴し話題となりました。原則、自由であるはずの企業の採用活動は、どのような場合に制約されるのでしょうか。裁判例を参考に検討してみましょう。

1.契約締結(=採用)の自由
財産権の行使や営業、その他広汎な経済活動の自由は、憲法により、基本的人権として保障されています(22・29条等)。それゆえ、企業は契約締結の自由を有し、自己の営業のために労働者を雇傭するにあたり、いかなる者を雇い入れるか、いかなる条件でこれを雇うかについて、“法律その他による特別の制限がない限り、原則として自由にこれを決定することができる”とされています(最大判昭48.12.12、三菱樹脂事件)。ここでいう“法律その他による特別の制限”としては、例えば、『労働組合からの脱退を雇用条件とすることの禁止(労働組合法)』や、『労働者募集・採用における性差別禁止(男女雇用機会均等法)』等が挙げられます。
上述の様な法律等の制限に抵触しない限り、企業には広く採用の自由が認められていると考えられますが、それでも、応募者の人格的尊厳やプライバシー等を侵害するような調査や申告強制は、当然に制約されます。

2.採用の自由が制約されなかった例
上述した三菱樹脂事件では、最高裁は以下のように判断し、労働者の思想・信条を理由とした採用拒否を違法とはしませんでした。
●(憲法が保障する思想・良心の自由や法の下の平等は)私人相互の関係を直接規律することを予定するものではない
●…採否決定に先立ってその者(労働者)の性向、思想等の調査を行なうことは、企業における雇傭関係が、単なる物理的労働力の提供の関係を超えて、一種の継続的な人間関係として相互信頼を要請するところが少なくなく、わが国におけるようにいわゆる終身雇傭制が行なわれている社会では一層そうであることにかんがみるときは、企業活動としての合理性を欠くものということはできない
ただし、終身雇用制について言及しているように、この判決自体、判決当時の社会情勢を反映したものである点には留意が必要でしょう。

3.採用の自由が制約された例
下級裁ではありますが、求人を行う者が、応募者の同意なく健康情報を収集していたケースで、プライバシーの侵害が認められ、損害賠償の支払いが命じられた裁判例は複数あります(例として、東京地判平15.5.28、HIV抗体検査〔警視庁警察学校〕事件や東京地判平15.6.20、B金融公庫事件等)。
上に挙げたHIV抗体検査事件では、裁判所は以下のような判断をしました。
●(誤った理解に基づくHIV感染者に対する偏見がなお根強く残っている)そのような状況下において、個人がHIVに感染しているという事実は、一般人の感受性を基準として、他者に知られたくない私的事柄に属するものといえ、人権保護の見地から、本人の意思に反してその情報を取得することは、原則として、個人のプライバシーを侵害する違法な行為というべきである
●相対的にストレスの高い警察官の職務であろうと…(略)…HIV感染者にとって、当然に不適であるということはできず、その適・不適の判断は、その者の実際の免疫状態によって行われるべきである
●…本件HIV抗体検査は、本人の同意なしに行われたというにとどまらず、その合理的必要性も認められないのであって、原告のプライバシーを侵害する違法な行為といわざるを得ない
このように、仮に応募者本人が同意していたとしても、検査に合理的必要性がないのであれば、違法と判断される可能性は高くなると考えられます。

4.さいごに
これまでみてきたように、応募者が隠しておきたいと思うような事項については、採用のためとはいえ調査することは望ましくないといえます。また、その観点からいうと、まえがきの事件でも争点となったHIVに関しては、企業が検査を行う必要が肯定されるケースは、殆ど存在しないといえるのではないでしょうか。
平成7年労働省発出の『職場におけるエイズ問題に関するガイドライン』にて、“職場におけるHIV検査は、労働衛生管理上の必要性に乏しく、また、エイズに対する理解が一般には未だ不十分である現状を踏まえると職場に不安を招くおそれのあることから、事業者は労働者に対してHIV検査を行わないこと”が要請されています。また、現在は抗HIV薬による治療法の発展により、職業的曝露(針刺し事故等)による感染すら殆ど報告されなくなっているという背景もあります。しかしながら、HIV陽性者はほぼ一生涯服薬を継続する必要があるため、企業の理解やサポートが必要不可欠であることも、また事実です。
これからの社会においては、個人のプライバシーを侵害することなく、私的事柄においても労働者からの自発的な申請を促し、治療と仕事の両立が図れる、理解ある職場づくりを実現していくことが大切であるといえるでしょう。

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